2007年08月18日

マックス・ローチにまつわる話


20世紀モダンジャズ最初のスタイル、ビーバップに関与した巨人の中で、数少ない存命者だった、ドラマーのマックス・ローチ(Max Roach)が天に召された(Rest In Peace)。

マックス・ローチは、黒人の地位向上のために闘争した急進的なジャズマン、としても知られた。

ほとんど知られていないエピソードとして、彼にはこんなことがあった。

白人社会で差別される黒人として、彼は必死でアメリカの社会制度や因習と闘った訳だが、来日した際は、日本人を小馬鹿にした態度だった、というのだ。

すでにプロフェッサーの地位を得ていたローチは、インタビューする日本の錚々たるジャズ評論家達に、かなり侮蔑的な受け答えをしたことを、故油井正一先生は思い出話として語ってくださったことがあった。


そういえば、同じ闘う黒人ジャズマンとして双璧をなした、ベースのチャールス・ミンガスも、性格的に偏屈だったり、彼自身の追及した世界はクラシック的な要素の強いものだったりしていたのが妙にちぐはぐに思えたものだ。
Jazzical Moods
Let My Children Hear Music 等

そしてなぜか、ローチも、ミンガスも、肌色の黒さは、マイルス・デイビスのような真っ黒けとは違い、薄目だった。

マイルスも、より白人的な洗練をコンセプトにジャズをリードしていったが、それでも政治的に積極的な闘争には加わることがなかった。


まあそれはそうと、「バップ・ドラムの開祖」ケニー・クラークに続き、実務的にビ・バップ〜ハード・バップへのドラム奏法を普及せしめたローチの初期について、私も若い頃非常に興味を持って探したことがあった。

1940年代チャーリー・パーカー・バンド時代のローチと、その後の自己バンドを持つようになって以降と、「バップドラマー」として、まるで別人のような奏法をしているからである。

50年代の完成されたローチ・スタイルこそが彼だ、と思うと、40年代の叩き方は、パーソネルの氏名欄を見ない限りは誰がドラマーなのかわからない。
同じくローチと双璧をなす、アート・ブレイキーも、40年代の奏法はまるで別人だ。

ローチの録音を、年月日順につぶさに聴いていくと、どうやら彼自身の中で1949年中に奏法上の革命が起きていたことまではレコードでつきとめた。

この突然の変化が何を意味しているのか、大変気になっていたところ、ある研究者の方が、R&Bドラマーの、アイク・デイとの出会いが契機になった、と教えてもらったことがあった。
しかし、その研究者の先生いわく、アイク・デイの奏法とローチの奏法は似ても似つかない、とのこと。

ますます深まる謎に、日本人にはコワモテでもいつかローチ大先生御本人と面会して確かめてみたいと思ううち幾星霜、訃報に接して改めて思い出した次第。
posted by Jersey Bounce at 01:19| Comment(0) | TrackBack(1) | Jazz独白 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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マックス・ローチを悼んで
Excerpt: [ニューヨーク 16日 ロイター] テンポの速い「ビバップ」スタイルでジャズに改革を起こした米ドラム奏者のマックス・ローチさんが15日、当地で亡くなった。83歳だった。...
Weblog: jazz.fukao.info
Tracked: 2007-08-19 22:52
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